非日常体験

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先日、あるご縁で高尾山薬王院の「講」のお誘いを受けたので、しっかり感染対策をした上で参加しました。これまで全く無縁だった「講」という 非日常体験 により、心の健康に関するヒントや、今後さらに広げたいご縁を得られたので、共有させていただきます。

「講」とは

もともとは、お坊さん方が仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指していたものが、その後に転じて、宗教行事やその集団を指すようになったそうで、私が今回参加した講は、高尾山薬王院の「有喜講」でした。主な行程は、高尾山登山・御護摩修行・法話・精進料理という流れでした。

高尾山登山

高尾山登山の素晴らしさは様々な場面で耳にしていましたが、私がアウトドア体験に対して消極的だったこともあり、これまで高尾山に近づく機会はありませんでした。今回初めて訪れた高尾山は、時期的に秋の色合いが濃く、風景はちょうど良く霧がかっており、それがなんとも風流で、心に響きました。

先頭に立った僧侶の方に従う形で、他の参加者とともにゆっくりと参道を登る中、高尾山の歴史や修行の裏話などを交えて参道を解説いただけたので、疲れを残さず有意義かつ新鮮な学びを得ました。普段ほとんど触れることがない体験を満喫し、心身ともにリフレッシュできたように思います。

昨今のコロナ禍で、多くの人が強いストレスにさらされています。しかし、自然とふれあい、体を動かすことで、生活の満足度や幸福感を高め、うつや不安などのメンタルヘルスを改善できるという研究が、最近相次いで発表されています。今回の体験は、自分の中でその結果を裏付けるものでした。また、目の前の生活や仕事だけでなく、大いなる自然にも目を向けることが、心の健康にとって大事なのだと感じました。

御護摩修行

御護摩修行は、人間の煩悩を表わす薪に大導師が点火し、そこに生ずる智慧の浄火で、あらゆる煩悩を焼き清めるためにおこなわれるそうです。

御護摩修行と聞いて最初に浮かんだのは、プロ野球選手がシーズンオフに燃え上がる炎の前で、必死の形相でなにかを唱えている姿でした。お知らせを頂いたときは、どのような苦行が待っているのかと内心ビクビクしていました。

本堂の中で待っていると、ほら貝の音とともに僧侶の方々が中央の護摩壇に入場し、祈祷が始まります。私達は周囲の椅子に座り、祈祷の様子を見ているというような状況でした。従前のイメージと違い、高尾山で行われている御護摩修行は、心身の苦痛はまったくありませんでした。

普段は気にしていない自分の中のネガティブな気持ちを自覚し、その気持ちを太鼓の大きな音に合わせて追い出すイメージで、その時間を過ごしました。終わったあと、心がとてもスッキリしました。

法話

その後、薬王院の貫首である佐藤秀仁僧正から、法話がありました。火渡り修行にまつわるエピソードをもとに、僧侶の方々が、日々なにを目指して修行に励んでいるのか、人々になにを伝えたいのかを、じっくり拝聴しました。

法話を聴くという体験も私にとっては非日常であり、今後自分が困難な場面や理不尽な出来事に遭遇した時、今回の法話を思い出すことで心を整え、冷静に対処したいと思いました。

懇親会

その後は坊入りといって、御護摩修行を受けた人たちにふるまわれる精進料理を頂きました。コロナ禍でなかなかそのような機会がありませんでしたが、美味しい精進料理を頂きながら、参加された方々と懇親を深めました。

皆さん、若くて非常に優秀な方ばかりで、私としては気後れするところもあったのですが、今回参加に至った経緯、普段の生活やお仕事、今後どのようなことに取り組みたいかなど、活発な意見交換ができました。これまでの人間関係だけでなく、今回のご縁を是非末長く繋ぎたいと思いました。

有喜講に参加して

仏教に関してほとんど知識はありませんが、お釈迦様は人々に心の平安をもたらすため教えを説き、それが脈々と様々な形で受け継がれているのが現在の仏教なのかなと、私なりに解釈しています。

大昔から人々が心の安定を目指す中で、今回の有喜講をはじめとした様々な儀式は、先人達の膨大な知恵と経験とテクニックが凝縮されていると思われます。心の健康術を広げたい私にとって、大いに参考になりました。また、良い人間関係を広げようと前向きな気持ちになれたことも、自分自身新しい局面に差し掛かったように感じます。

非日常体験は、普段の自分を客観視でき、現在地を確認して改めて将来を見据える良い機会になり、ご縁を広げるきっかけにもなります。私は普段、腰が重いですが、「良いかもしれない」と感じたイベントには積極的に参加すべきだと思いました。

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